旭富士正也の現在は宮城野親方?第63代横綱の実績と引退後を徹底解説
旭富士正也(あさひふじ・せいや)は、平成時代に初めて横綱へ昇進した第63代横綱です。本名は杉野森正也。青森県つがる市出身で、大島部屋から角界入りし、幕内優勝4回を記録しました。1992年1月場所で現役を引退した後は、安治川部屋を継承し、伊勢ヶ濱部屋の師匠として後進の育成に力を注いできました。
2026年現在の旭富士正也は、年寄・宮城野を名乗る日本相撲協会の参与です。2025年6月には年寄名跡の継承が行われ、長年親しまれた伊勢ヶ濱親方から宮城野親方へと名前が変わりました。日本相撲協会の公式プロフィールや発表資料をたどると、現役時代の実績だけでなく、部屋の継承や定年後の活動まで、その歩みを整理できます。
【2026年最新】旭富士正也の現在は宮城野親方・日本相撲協会参与
旭富士正也は1960年7月6日生まれ。2026年10月現在、66歳です。現役時代の四股名は旭富士ですが、引退後は複数の年寄名を経て、現在は宮城野正也として日本相撲協会に所属しています。
日本相撲協会の公式「年寄プロフィール」では、役職は「参与」、所属部屋は「伊勢ヶ濱」と記載されています。現在の立場を理解するうえで重要なのは、宮城野という名前と、宮城野部屋の師匠であることは同じ意味ではないという点です。
2025年6月に伊勢ヶ濱親方から宮城野親方へ
2025年6月2日、日本相撲協会は年寄名跡と部屋の継承について発表しました。同月9日付で、当時の伊勢ヶ濱親方だった旭富士が年寄・宮城野を継承し、元横綱・照ノ富士が年寄・伊勢ヶ濱を継承するとともに、伊勢ヶ濱部屋を引き継ぐことが承認されました。
その後、2025年7月6日に65歳の定年を迎えた旭富士は、参与として協会に残ることになりました。2026年現在も、協会公式プロフィールには宮城野正也、参与、伊勢ヶ濱部屋所属と記載されています。
ここで注意したいのが、現在の宮城野親方は元横綱・旭富士であり、かつて同じ年寄名を名乗っていた元横綱・白鵬とは別人だということです。元白鵬の宮城野親方は2025年6月に日本相撲協会を退職しており、その後に宮城野の名跡を継いだのが旭富士です。
つまり、現在の役職や所属を調べる際は、現役時代の四股名、引退後の年寄名、部屋の師匠という3つの情報を分けて確認する必要があります。
【本名・学歴・体格】青森県つがる市から大島部屋へ
旭富士正也は、青森県西津軽郡木造町(現在のつがる市)の出身です。日本相撲協会の公式プロフィールでも、出身地、本名、生年月日、体格が確認できます。
あさひふじ・せいや/現・宮城野正也
本名
生年月日
出身地
現役時代の体格
所属部屋
最高位
得意技
近畿大学を中退後、通信教育課程で学び直す
旭富士は近畿大学に進学し、学生相撲でも実績を残しました。しかし、大学を中退して大相撲の世界へ進みます。
その後も学業を完全に手放したわけではありません。近畿大学が公表している相撲部の実績資料では、旭富士は1980年に商経学部を中退し、1991年に通信教育部短期大学部を卒業したと紹介されています。
競技生活と学業を両立させ、現役の横綱時代に卒業までたどり着いた経歴は、旭富士を語るうえで見落とせない点です。
大島部屋への入門からスピード出世
旭富士は1981年1月場所で初土俵を踏み、1982年3月場所で十両、1983年3月場所で幕内へ昇進しました。初土俵から約2年で幕内に到達したことになります。
その後、1983年11月場所に新三役、1987年11月場所に大関へ昇進。着実に番付を上げ、1990年には横綱の地位へ到達しました。
現役時代の旭富士を特徴づけたのは、189cmの長身を生かした右四つからの攻めです。日本相撲協会の公式プロフィールには、寄り切りや上手出し投げも得意技として記載されています。単に体格に恵まれた力士というだけでなく、組んでから相手を崩す技術を備えていた点が持ち味でした。
【横綱昇進まで】第63代横綱と幕内優勝4回の実績
旭富士は1990年9月場所から横綱に在位し、平成時代に初めて横綱へ昇進した力士となりました。第63代横綱として、その名は相撲史に刻まれています。
日本相撲協会の「歴代横綱」プロフィールによると、幕内優勝は4回。生涯戦歴は575勝324敗35休、幕内戦歴は487勝277敗35休です。幕内での成績だけを見ても、長期間にわたって上位で戦い続けた実力がうかがえます。
旭富士の主要な経歴・戦績一覧
横綱としての実力を示した1991年5月場所
旭富士の現役時代を振り返る際、重要な一番として挙げられるのが1991年5月場所です。
当時、千代の富士が引退し、ほかの横綱も休場する状況のなか、旭富士は横綱として土俵を支えました。千秋楽では大関・小錦との優勝争いを制し、本割と優勝決定戦で勝利して優勝を果たしました。
ベースボール・マガジン社の相撲関連記事でも、この優勝は旭富士が横綱として初めて手にした優勝として取り上げられています。幕内優勝4回という数字だけでは伝わりにくい、上位力士との競り合いを制した実績です。
一方、横綱昇進後の在位期間は1990年9月場所から1992年1月場所まででした。横綱として長く君臨した力士ではありませんが、平成初の横綱という歴史的な位置づけと、優勝争いで示した実力は現在も評価の対象となっています。
【1992年1月場所】旭富士の引退理由は病気と体調の悪化
旭富士が現役を引退したのは、1992年1月場所です。日本相撲協会の公式プロフィールにも、引退場所は平成4年1月場所と記録されています。
引退の背景として大きかったのは、持病や故障による体調面の問題でした。
最後の優勝から引退までに何があったのか
1991年5月場所で優勝した後、旭富士は体調の悪化や故障に悩まされ、休場が続きました。ベースボール・マガジン社の相撲関連記事では、病気を治して稽古のできる体に戻すこと自体が大きな課題だったと振り返られています。
相撲史の資料や当時を振り返る記事では、膵臓の持病の悪化なども引退の背景として挙げられています。1992年1月場所に復帰したものの、序盤から3連敗を喫し、引退を決断しました。
したがって、引退を単純に「3連敗したから」と説明するのは正確ではありません。以前から続いていた健康上の問題と、横綱として土俵に立ち続けることの難しさが重なった結果と捉える必要があります。
横綱の責任と健康の両立
横綱は、番付の頂点に立つ力士として高い成績と安定した出場を求められます。体調が万全でない状態で休場を重ねることは、本人にとっても大きな負担になります。
旭富士は最後の優勝まで実力を示していましたが、その後は病気や故障によって思うような相撲を取れない状況に直面しました。1992年1月場所での引退は、成績の低下だけではなく、長く続いた身体的な問題を背景にした決断だったのです。
引退後も旭富士は相撲界に残り、年寄として後進の育成に進みます。現役生活は短く終わりましたが、その後の親方人生は30年以上にわたって続くことになります。
【安治川部屋から伊勢ヶ濱部屋へ】部屋継承の経緯と照ノ富士との関係
旭富士は1992年1月場所で引退した後、年寄として相撲協会に残りました。引退直後には横綱特権によって旭富士の名を年寄名として用い、その後、安治川、伊勢ヶ濱、宮城野へと年寄名を変えています。
1993年に安治川部屋を継承
引退後の旭富士は、当初、春日山部屋を再興する可能性も取り沙汰されていました。しかし、若い頃から目をかけていた安治川親方(元関脇・陸奥嵐)が健康上の理由で廃業する意向を示したことから、引退相撲の後に大島部屋から安治川部屋へ移籍しました。
そして1993年春、年寄・安治川を襲名し、部屋を継承します。部屋付きの親方ではなく、自ら弟子を育てる師匠としての歩みが始まりました。
2007年には年寄名を伊勢ヶ濱へ変更。部屋も伊勢ヶ濱部屋となり、旭富士は長年にわたってその師匠を務めました。
伊勢ヶ濱親方として育てた横綱たち
旭富士の親方としての功績を考えるうえで欠かせないのが、横綱を育てた実績です。
伊勢ヶ濱部屋では、元横綱・日馬富士、元横綱・照ノ富士らが活躍しました。旭富士は、現役時代に培った相撲の技術と経験を次世代へ伝える立場となり、部屋の師匠として力士の育成に携わりました。
2024年3月場所で新入幕優勝を果たした尊富士も、伊勢ヶ濱部屋に所属していた力士です。青森県出身の旭富士にとって、同じ青森県出身の弟子が歴史的な優勝を達成したことは、師匠としても大きな節目となりました。
2025年の名跡継承で照ノ富士が伊勢ヶ濱親方に
2025年6月9日付で、旭富士は年寄・宮城野を継承しました。同日、元横綱・照ノ富士が年寄・伊勢ヶ濱を襲名し、伊勢ヶ濱部屋の師匠を引き継ぎました。
この変更によって、両者の関係は次のように整理できます。
- 旭富士正也: 現在の年寄名は宮城野。日本相撲協会の参与で、伊勢ヶ濱部屋に所属。
- 照ノ富士: 現在の年寄名は伊勢ヶ濱。部屋を継承した師匠。
- 宮城野部屋: 旭富士が宮城野の名跡を継いだことと、宮城野部屋の師匠になったことは別の話。
年寄名は、引退した力士が親方として活動する際に用いる名前です。部屋の継承と年寄名の継承が同時に行われることもありますが、必ずしも一致するわけではありません。旭富士の2025年の名跡変更は、その違いを理解するうえで分かりやすい事例です。
【還暦土俵入り・尊富士の優勝】引退後の活動と旭富士の存在感
旭富士は現役引退後、部屋の師匠として力士の育成に長く携わってきました。2025年に定年を迎えて参与となった現在も、日本相撲協会に所属しています。
引退後の活動を知るうえでは、2021年の還暦土俵入りと、2024年の尊富士の優勝凱旋パレードが象徴的な出来事です。
2021年10月3日、還暦土俵入りを披露
2021年10月3日、旭富士は伊勢ヶ濱親方として両国国技館で還暦土俵入りを披露しました。
還暦土俵入りは、60歳を迎えた元横綱が行う特別な土俵入りです。旭富士は2020年7月に還暦を迎えていましたが、新型コロナウイルスの影響で予定されていた行事が延期され、2021年10月の開催となりました。
当日は還暦を象徴する赤い綱を締め、現役時代と同じ不知火型を披露。太刀持ちには元横綱・日馬富士、露払いには元関脇・安美錦の安治川親方が務めました。
日刊スポーツやデイリースポーツの報道では、旭富士がこの日に向けて筋力トレーニングを続けて準備したことも伝えられています。還暦土俵入りは、現役時代の横綱としての姿を振り返るとともに、長年にわたる相撲人生の節目を示す行事となりました。
2024年5月、尊富士の優勝凱旋パレードに同席
もう一つの節目が、2024年5月1日に青森県五所川原市で行われた尊富士の優勝凱旋パレードです。
尊富士は2024年3月場所で新入幕優勝を達成しました。新入幕力士の優勝は110年ぶりで、初土俵から所要10場所での幕内優勝という記録も打ち立てています。
当時の師匠だった伊勢ヶ濱親方(元横綱・旭富士)もパレードに同席しました。スポーツニッポンの報道によると、旭富士は部屋を持ってから長い年月を経て、地元から優勝力士を出したいと考えていたことを語り、弟子の快挙を喜んでいました。
この出来事は、青森県出身の元横綱が、同郷の若い力士を育てて大きな成果につなげた事例として印象に残ります。旭富士の相撲人生は、1992年の引退で終わったのではありません。師匠として弟子を育て、その活躍を見届ける立場へと変わっていったのです。
旭富士の現在を調べるときに注意したい3つの誤解
旭富士正也について検索すると、現在の役職や年寄名が混同されることがあります。特に注意したいのは次の3点です。
- 「現在も伊勢ヶ濱親方」という理解: 2025年6月9日付で年寄・宮城野へ変更しています。伊勢ヶ濱の名跡と部屋は照ノ富士が継承しました。
- 「宮城野親方は元白鵬」という理解: 元白鵬は2025年6月に協会を退職しています。現在、宮城野を名乗るのは旭富士です。
- 「横綱として長く在位した」という理解: 旭富士の横綱在位は1990年9月場所から1992年1月場所までです。横綱在位期間と、引退後に親方として活動した期間は分けて考える必要があります。
これらを区別すると、旭富士の現役時代の実績と、現在の協会内での立場を正確に理解しやすくなります。
【旭富士正也】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:旭富士正也は2026年現在、何をしている人ですか?
A1:日本相撲協会の参与として所属しています。現在の年寄名は宮城野で、所属部屋は伊勢ヶ濱部屋です。2025年7月に65歳の定年を迎えた後も、参与として協会に残っています。
Q2:旭富士正也の本名と出身地はどこですか?
A2:本名は杉野森正也(すぎのもり・せいや)です。1960年7月6日生まれで、青森県西津軽郡木造町、現在のつがる市の出身です。現役時代の体格は身長189cm、体重143kgでした。
Q3:旭富士正也はなぜ1992年1月場所で引退したのですか?
A3:持病や故障による体調の悪化が大きな背景にありました。1991年5月場所で優勝した後、休場が続き、1992年1月場所に復帰したものの序盤から3連敗し、引退を決断しました。連敗だけでなく、以前からの健康上の問題が重なった結果です。
Q4:旭富士正也の幕内優勝は何回ですか?
A4:幕内優勝は4回です。日本相撲協会の公式プロフィールによると、生涯戦歴は575勝324敗35休、幕内戦歴は487勝277敗35休です。
Q5:旭富士正也と現在の伊勢ヶ濱親方はどのような関係ですか?
A5:旭富士は長年、伊勢ヶ濱部屋の師匠を務めていました。2025年6月に年寄・宮城野を継承し、元横綱・照ノ富士が年寄・伊勢ヶ濱と部屋を継承しました。現在は旭富士が参与として伊勢ヶ濱部屋に所属しています。
まとめ:旭富士正也の現在と横綱・親方としての功績
旭富士正也は、平成初の横綱となった第63代横綱です。青森県つがる市出身で、本名は杉野森正也。大島部屋で力を磨き、幕内優勝4回を達成しましたが、持病や体調の悪化によって1992年1月場所で現役を引退しました。
その後は1993年に安治川部屋を継承し、2007年から伊勢ヶ濱親方として部屋を率いました。日馬富士や照ノ富士らの育成に携わり、2024年には尊富士の歴史的な幕内優勝を師匠として見届けています。
2026年現在の旭富士は、宮城野親方の名で日本相撲協会の参与を務め、伊勢ヶ濱部屋に所属する元横綱です。2025年の名跡継承によって呼び名は変わりましたが、横綱としての実績と、長年にわたる相撲界への貢献は変わりません。
旭富士の歩みを知るには、横綱在位中の成績だけでなく、引退後に部屋を継承し、次の世代へ技術と経験を伝えてきた歴史まで見ることが大切です。現役力士としての功績と、親方として積み重ねた仕事。その両面が、旭富士正也という人物を理解するための重要な手がかりになります。 (出典: 旭 富士 正 也(Yahoo!ニュース))