井筒三兄弟の現在【2026年最新】全員の死去と死因、史上初の記録・井筒部屋の真相を徹底解説
2026年現在、「井筒三兄弟」と呼ばれた鶴嶺山、逆鉾、寺尾の3人は、いずれもこの世を去っています。長男の元十両・鶴嶺山は2020年3月、次男の元関脇・逆鉾は2019年9月、三男の元関脇・寺尾(錣山親方)は2023年12月に死去しました。3人とも60歳前後という早すぎる別れでした。
一方、彼らは大相撲史に残る記録を打ち立てた兄弟としても知られています。父であり師匠でもあった元関脇・鶴ヶ嶺のもとで修業し、三兄弟全員が十両以上の「関取」に昇進した史上初の例となりました。日本相撲協会が発表した寺尾の死因、逆鉾の闘病報道、長兄が引退後に取材を断っていたとされる事情、そして井筒部屋のその後まで、2026年時点の情報を整理します。
📌 【この記事の重要ポイントまとめ】
- 要点1:長男・鶴嶺山、次男・逆鉾、三男・寺尾の三兄弟は、全員が関取に昇進した史上初の三兄弟として知られる。
- 要点2:死去は逆鉾が2019年、鶴嶺山が2020年、寺尾が2023年。寺尾の死因は日本相撲協会から「うっ血性心不全」と発表された。
- 要点3:逆鉾の死後、井筒部屋は消滅。寺尾が創設した錣山部屋は、2024年に元小結・豊真将の錣山親方が継承している。
【井筒三兄弟とは】長男・鶴嶺山、次男・逆鉾、三男・寺尾の経歴
井筒三兄弟とは、元十両の鶴嶺山、元関脇の逆鉾、元関脇の寺尾という、昭和から平成にかけて活躍した大相撲力士の三兄弟です。父は「もろ差しの名人」と呼ばれた元関脇・鶴ヶ嶺。父が師匠を務めた井筒部屋に兄弟が順に入門し、それぞれ異なる持ち味を発揮しました。
三兄弟の特徴は、単に同じ相撲部屋で育ったことではありません。長兄は十両、次兄と末弟は関脇まで昇進し、3人全員が関取として土俵に立ちました。日本の大相撲では兄弟力士そのものは珍しくありませんが、三兄弟全員が関取になったことは特筆すべき実績です。
長男・鶴嶺山は1959年生まれ。本名は福薗好政(ふくぞの・よしまさ)で、最高位は西十両2枚目でした。突っ張りやもろ差しを得意とし、1981年名古屋場所では弟の逆鉾とともに新十両へ昇進しています。引退後は東京都内でちゃんこ店「相撲茶屋寺尾」を営み、相撲界の表舞台からは距離を置く生活を送りました。
次男・逆鉾は1961年生まれ。本名は福薗好昭(ふくぞの・よしあき)。最高位は関脇で、父譲りのもろ差しを武器に活躍しました。相手の懐に素早く入り、両腕を差して攻める技術に優れ、横綱・千代の富士を相手にしても臆さない勝負師として知られました。引退後は井筒親方として部屋を継承し、横綱・鶴竜らを育てています。
三男・寺尾は1963年生まれ。本名は福薗好文(ふくぞの・よしふみ)。最高位は関脇です。細身の体格から繰り出す鋭い突っ張りと俊敏な動き、端正な顔立ちで人気を集め、「土俵の鉄人」とも呼ばれました。2002年に現役を引退した後は錣山親方となり、2004年に錣山部屋を創設。元小結・豊真将や阿炎らの育成に携わりました。
なお、三兄弟の四股名と本名は混同されやすい部分です。逆鉾は引退後に井筒親方、寺尾は引退後に錣山親方となりましたが、いずれも現役時代の四股名と親方としての名前を区別して理解すると、経歴を整理しやすくなります。

【現役時代を比較】三兄弟全員が関取となった史上初の記録
井筒三兄弟の実績を比較すると、三人それぞれが異なる形で相撲界に足跡を残したことがわかります。長男は十両上位まで進み、次男と三男は関脇に昇進。特に逆鉾と寺尾は、同じ時代に幕内上位で競い合いました。
日本相撲協会の力士プロフィールや、日刊スポーツ、スポニチなどの相撲報道をもとに、主要な経歴をまとめました。
| 比較項目 | 長男・鶴嶺山 | 次男・逆鉾 | 三男・寺尾 |
|---|---|---|---|
| 本名 | 福薗好政 | 福薗好昭 | 福薗好文 |
| 生年 | 1959年 | 1961年 | 1963年 |
| 初土俵 | 1975年3月場所 | 1978年1月場所 | 1979年名古屋場所 |
| 最高位 | 西十両2枚目 | 関脇 | 関脇 |
| 主な実績 | 三兄弟で最初に関取となり、十両上位まで昇進 | 殊勲賞5回、技能賞4回、金星7個 | 幕内在位93場所、幕内連続出場1063回 |
| 引退後 | ちゃんこ店を経営 | 井筒部屋を継承し、鶴竜らを育成 | 錣山部屋を創設し、後進を指導 |
| 死去 | 2020年3月28日、60歳 | 2019年9月16日、58歳 | 2023年12月17日、60歳 |
ここで注意したいのは、「三兄弟全員が関取になった史上初の記録」と「三兄弟が同時に関取だった」という意味は異なることです。関取とは、番付で十両以上に位置する力士を指します。三兄弟はそれぞれ関取に昇進しましたが、三人全員が同時に関取だったわけではありません。
寺尾が1984年7月場所に新十両へ昇進したことで、三兄弟全員の関取昇進が実現しました。これは三兄弟それぞれの努力が実を結んだ記録です。
さらに、1989年春場所には逆鉾と寺尾が兄弟同時に関脇を務めています。ベースボール・マガジン社の相撲関連記事でも紹介されているこの実績は、三兄弟の中でも特に象徴的な出来事です。長兄が切り開いた道を、二人の弟が幕内上位でさらに広げた構図が浮かび上がります。
寺尾は幕内在位93場所、幕内連続出場1063回という記録を残しました。軽量級の体格ながら長く幕内で戦い続けた点は、単なる人気だけでは説明できない実力の証しです。逆鉾も三賞を計9回受賞し、金星を7個獲得するなど、技能派の関脇として評価されました。
【早逝の理由と経緯】三兄弟の死因と訃報の真相
三兄弟の訃報が大きな反響を呼んだのは、全員が60歳前後で亡くなったためです。ただし、三人の死去はそれぞれ別の時期に起きており、報じられた病状や公表内容も同一ではありません。共通の死因があったとする根拠はなく、個々の経緯を分けて理解する必要があります。
次男・逆鉾は2019年9月16日に58歳で死去しました。日本相撲協会の親方としても活動していた逆鉾は、秋場所前から体調を崩し、場所を休場して東京都内の病院に入院していました。当時のスポーツ報道では、膵臓の病気を患い、膵臓がんとみられると伝えられています。闘病の末に亡くなったことは報じられましたが、寺尾のケースとは異なり、死因について日本相撲協会が病名を公式発表したものとして扱うべきではありません。
逆鉾は現役引退後、1994年に父から井筒部屋を継承し、横綱・鶴竜をはじめとする力士を指導しました。部屋の師匠として相撲界を支えていた最中の訃報は、角界に大きな衝撃を与えました。
長男・鶴嶺山は2020年3月28日に60歳で死去しました。スポニチなどの報道によると、死因は急性心不全で、東京都内の自宅で亡くなったとされています。訃報が広く伝えられたのは同年5月16日で、葬儀・告別式は近親者で営まれました。亡くなった直後に公表されなかった背景には、四十九日が過ぎるまで公表を控えていた事情があったと報じられています。
鶴嶺山は亡くなる前日にも、引退後に営んでいたちゃんこ店にいたと伝えられました。現役時代の実績に加え、表舞台から離れた後も相撲と縁のある暮らしを続けていたことがうかがえます。
三男・寺尾は2023年12月17日午後8時27分、60歳で死去しました。日本相撲協会は翌18日、錣山親方の本名・福薗好文さんが、うっ血性心不全のため東京都内の病院で亡くなったと発表しました。死因が公的に発表された点で、逆鉾や鶴嶺山の訃報とは区別されます。
寺尾は以前から不整脈で入退院を繰り返していたと報じられ、2023年11月の九州場所は全休していました。日刊スポーツなどの報道では、同年9月下旬から約3カ月間入院し、12月16日に不整脈によって容体が急変したとされています。
「うっ血性心不全」は、心臓の機能が低下し、血液が十分に送り出されないことで肺や全身などにうっ血が生じる病態です。日本相撲協会が公表したのはこの病名であり、個別の病状の詳細や不整脈との医学的な関係すべてが公表されたわけではありません。
三兄弟の死去を時系列で整理すると、逆鉾が58歳、鶴嶺山と寺尾がそれぞれ60歳でした。年齢の近い三人が相次いで亡くなったことは事実ですが、報じられた死因や病状は異なります。「三兄弟だから同じ病気で亡くなった」といった理解は正確ではありません。

【鶴ヶ嶺と井筒部屋】父子関係、部屋の継承、その後の現在
井筒三兄弟の相撲人生を語るうえで欠かせないのが、父・鶴ヶ嶺との関係です。元関脇の鶴ヶ嶺は、もろ差しを得意とする技能派力士として名を残し、引退後は師匠として息子たちを育てました。三兄弟にとって父は、家庭での父親であると同時に、相撲の技術や稽古を教える師匠でもありました。
父の相撲を受け継いだ逆鉾は、現役引退後に年寄・井筒を襲名。1994年に井筒部屋を継承し、師匠として横綱・鶴竜らを育てました。井筒部屋は三兄弟の現役時代だけでなく、後進の育成を通しても相撲界に影響を与えた場所です。
しかし、逆鉾が2019年9月に亡くなったことで、井筒部屋は師匠を失いました。日本相撲協会は同年9月27日、横綱・鶴竜ら所属力士3人と床山1人が陸奥部屋へ転属することを承認したと発表しています。これにより、逆鉾が継承していた井筒部屋は事実上その歴史を閉じました。
一方、寺尾が2004年に創設した錣山部屋は、井筒部屋とは別の部屋として存続しています。寺尾の死去後は、元小結・豊真将の立田川親方が師匠代行を務め、2024年2月23日、日本相撲協会の理事会で錣山部屋の継承と錣山名跡の襲名が承認されました。
2026年現在、日本相撲協会の公式部屋紹介でも、錣山部屋の師匠は元小結・豊真将の錣山親方とされています。つまり、井筒三兄弟が育った井筒部屋そのものは現存しませんが、三男が築いた錣山部屋は後進の指導を続けています。
この違いは、相撲部屋の歴史を調べる際に重要です。「井筒部屋が現在もある」という理解と、「寺尾の錣山部屋が継承されている」という事実は同じではありません。師匠の襲名や部屋の継承は、相撲界の制度に沿って行われるため、親方の名前と部屋の名称を分けて確認することが大切です。
【鶴嶺山が取材を断った理由】引退後の暮らしと三兄弟の評判
鶴嶺山は、現役時代の実績に比べて引退後の情報が少ない力士です。三兄弟の長男という立場から取材依頼が多かったものの、日刊ゲンダイが角界OBの話として伝えたところでは、照れ屋な性格だったため、大半の取材を断っていたとされています。
ただし、これは本人が公に説明した理由というより、相撲界関係者の証言として紹介されたものです。取材を断っていた背景を、家族との確執や相撲界への不満などに結びつける根拠はありません。報道で伝えられたのは、控えめな性格と、引退後に表舞台へ出る機会が少なかったという点です。
引退後の鶴嶺山は、都内でちゃんこ店「相撲茶屋寺尾」を経営していました。日刊ゲンダイの記事では、寺尾が2004年に錣山部屋を創設した当初、店の経営と並行してちゃんこ作りを手伝っていたという関係者の証言も紹介されています。兄弟がそれぞれ別の道を歩みながら、相撲を通じたつながりを保っていたことを示すエピソードです。
逆鉾と寺尾は、現役時代に対照的な取り口で人気を集めました。逆鉾はもろ差しからの速攻と勝負勘で知られ、寺尾は軽量ながら激しい突っ張りで大型力士に挑みました。二人が1989年春場所に同時に関脇を務めたことは、兄弟でありながらそれぞれ独立した実力者だったことを物語っています。
寺尾は引退後も指導者として活躍し、錣山部屋を創設して弟子の育成に力を注ぎました。現役時代の人気だけでなく、親方として後進に相撲への情熱を伝えたことも、その評判を支える要素です。兄弟三人の評価は、最高位だけではなく、技能、記録、指導者としての功績を含めて考える必要があります。

【プロの結論】井筒三兄弟の記録と訃報を正しく理解する3つの視点
井筒三兄弟の歴史から読み取れる重要な点は、記録、家族のつながり、そして相撲部屋の継承を分けて考えることです。
第一に、三兄弟全員が関取になった記録は、同時に三人が関取だったという意味ではありません。長男の鶴嶺山、次男の逆鉾、三男の寺尾は、それぞれの時期に十両以上へ昇進しました。三兄弟全員が関取になったことと、逆鉾・寺尾が同時に関脇を務めたことは、別々の記録として理解するのが正確です。
第二に、三人の死因を一括りにするのは適切ではありません。鶴嶺山については急性心不全、寺尾については日本相撲協会がうっ血性心不全と発表しています。逆鉾については、当時の報道で膵臓の病気や膵臓がんとみられる病状が伝えられました。公表内容には違いがあり、三人に共通する医学的な原因があったと判断できる情報はありません。
第三に、井筒部屋と錣山部屋は区別して理解する必要があります。逆鉾が継承した井筒部屋は、2019年の死去に伴って所属力士が転属し、消滅しました。一方、寺尾が創設した錣山部屋は、2024年に元豊真将の錣山親方へ継承されています。部屋の名称や親方の襲名を追うことで、三兄弟が残した相撲界への影響をより正確に理解できます。
三兄弟の歩みは、長男の十両昇進、次男と三男の関脇昇進、そして三男による部屋の創設へと続きました。三人とも60歳前後で亡くなったことは惜しまれますが、史上初の三兄弟関取という記録や、後進の育成を通じた功績は、現在も相撲史の一部として残っています。
【井筒三兄弟】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:井筒三兄弟は現在、全員亡くなっているのですか? A1:はい。長男の鶴嶺山は2020年3月28日、次男の逆鉾は2019年9月16日、三男の寺尾は2023年12月17日に死去しています。2026年現在、三兄弟はいずれも故人です。
Q2:井筒三兄弟全員が関取になったのは本当ですか? A2:本当です。鶴嶺山は十両、逆鉾と寺尾は関脇まで昇進しました。三兄弟全員が関取になった史上初の例として知られています。ただし、三人全員が同時に関取だったわけではありません。
Q3:寺尾の死因は何ですか? A3:日本相撲協会は2023年12月18日、錣山親方(元関脇・寺尾)がうっ血性心不全のため、前日の12月17日午後8時27分に亡くなったと発表しました。以前から不整脈で入退院を繰り返していたことも報じられています。
Q4:逆鉾の死因も心不全だったのですか? A4:逆鉾については、当時の報道で膵臓の病気や膵臓がんとみられる病状が伝えられました。寺尾のうっ血性心不全とは公表内容が異なります。三兄弟全員が同じ病気で亡くなったという情報は確認されていません。
Q5:井筒部屋は2026年現在も存在しますか? A5:逆鉾の死去後、井筒部屋の所属力士は陸奥部屋へ転属し、井筒部屋は消滅しました。一方、寺尾が創設した錣山部屋は存続しており、2024年に元小結・豊真将の錣山親方が継承しています。
まとめ:井筒三兄弟の功績と現在につながる相撲の系譜
井筒三兄弟は、長男・鶴嶺山、次男・逆鉾、三男・寺尾という三人の力士です。父・鶴ヶ嶺のもとで相撲を学び、全員が関取に昇進した史上初の三兄弟として知られています。逆鉾と寺尾は関脇まで上り詰め、兄弟同時関脇という記録も残しました。
三人の死去は、逆鉾が2019年、鶴嶺山が2020年、寺尾が2023年です。寺尾の死因は日本相撲協会からうっ血性心不全と発表され、鶴嶺山については急性心不全、逆鉾については膵臓の病気が報道されました。それぞれの訃報や病状を混同せず、発表された内容に沿って理解することが大切です。
2026年現在、井筒部屋そのものは存在しませんが、寺尾が創設した錣山部屋は後進の育成を続けています。三兄弟が残した記録、技術、指導者としての功績は、単なる懐かしい相撲界のエピソードではありません。三人がそれぞれの立場で積み重ねた実績こそが、井筒三兄弟の名が今も語り継がれる理由です。 (出典: 井筒 三 兄弟(Yahoo!ニュース))