山本徳郁の真相とは?2026年最新情報と経緯を徹底解説
【山本徳郁とは】「神の子」と呼ばれた格闘家の原点
山本徳郁さんは1977年3月15日、神奈川県に生まれました。レスリングを競技の基盤とし、総合格闘技とキックボクシングの両方で存在感を発揮した選手です。リングネームの「山本KID徳郁」や「KID」の愛称で広く知られ、鋭いパンチと前に出続ける攻撃的なスタイルが大きな特徴でした。
山本家はレスリングとの結びつきが強い一家です。父の山本郁榮さんはレスリング選手としてミュンヘン五輪に出場し、姉の山本美憂さん、妹の山本聖子さんも世界レベルで活躍しました。KIDさん自身も学生レスリングで実績を残し、1999年には全日本学生選手権などで優勝。2000年には全日本アマチュア修斗選手権のライト級を制しています。
「神の子」という呼び名は、単なる知名度や話題性だけで生まれたものではありません。レスリングで培った組み技の技術を持ちながら、打撃戦でも積極的に勝負を仕掛ける姿勢が、従来の日本の総合格闘技ファンだけでなく、立ち技格闘技を好む層にも届きました。
また、競技の枠にとどまらず、ファッションや飲食事業、ジムのプロデュースにも取り組んだ点も特徴です。競技者としての知名度を、自分のブランドや後進育成につなげようとした活動は、当時の格闘家のキャリアを考えるうえでも興味深いものです。

【経歴と戦績】修斗からK-1 HERO'S、UFCまでの軌跡
山本さんのプロ格闘家としての出発点は、2001年の修斗です。日本修斗協会の公式選手プロフィールには、プロ修斗公式戦の戦績として7戦6勝1敗が記録されています。初期の試合ではKOやTKOによる勝利も多く、短い時間で試合を決める能力が注目を集めました。
その後、活躍の場をK-1が展開した総合格闘技イベント「HERO'S」へと広げます。2005年にはHERO'Sのミドル級世界王者決定トーナメントを勝ち上がり、初代ミドル級世界王者となりました。K-1公式の選手名鑑にも、2005年のHERO'Sミドル級世界王者として記録されています。
HERO'Sでの成功は、山本さんの知名度を格闘技ファン以外にも広げる転機となりました。須藤元気さんら実力者との対戦でも話題を呼び、年末の大型格闘技イベントでも存在感を示しました。小柄な体格を補うスピードと踏み込み、相手が守勢に回る前に攻め込む姿勢は、試合を短時間で動かす大きな武器でした。
一方、2007年には北京五輪を目指して全日本レスリング選手権に出場したものの、2回戦で右腕を脱臼して敗退。総合格闘技だけでなく、レスリングでも高い目標を追い続けたことが分かります。
2011年からは世界最高峰の総合格闘技団体の一つであるUFCに参戦し、バンタム級を主戦場としました。UFC公式の選手プロフィールでは総合格闘技の通算戦績は18勝6敗と記録されています。ただし、UFC参戦後は勝利を挙げられず、2015年2月のローマン・サラザール戦も偶発的なアイポークによりノーコンテストとなりました。
2015年大みそかには、K-1ルールで魔裟斗さんと対戦。判定で敗れたこの試合が、山本さんの最後の試合となりました。現役時代の後半は勝敗だけを見れば厳しい時期もありましたが、修斗、HERO'S、UFCという異なる舞台に挑戦したキャリアは、日本の総合格闘技史を振り返る際に欠かせません。
| 時期 | 主な出来事 | 記録・意義 |
|---|---|---|
| 1998~1999年 | 学生レスリングで活躍 | 全日本学生選手権などで優勝 |
| 2000年 | 全日本アマチュア修斗選手権 | ライト級優勝 |
| 2001年 | プロ修斗デビュー | 公式戦7戦6勝1敗 |
| 2005年 | HERO'Sミドル級世界王者決定トーナメント | 初代ミドル級世界王者を獲得 |
| 2007年 | 全日本レスリング選手権に出場 | 北京五輪を目指すも2回戦で敗退 |
| 2011年~ | UFC参戦 | バンタム級で世界の強豪と対戦 |
| 2015年12月31日 | 魔裟斗さんと対戦 | 判定負け。最後の試合となる |
| 2018年8月26日 | がん治療中であることを公表 | 自身のSNSで闘病を報告 |
| 2018年9月18日 | 逝去 | 享年41歳 |
※戦績は大会や競技区分によって集計方法が異なります。修斗の記録は日本修斗協会、HERO'SのタイトルはK-1公式選手名鑑、UFCの通算記録はUFC公式プロフィールを参照しています。
【がん公表から死去まで】山本KID徳郁の死因と最期の経緯
山本さんの病気が広く知られるようになったのは、2018年8月26日のことでした。本人が自身のInstagramで、がん治療中であることを公表。「絶対元気になって、帰ってきたい」と回復への意欲を示し、ファンに支援を呼びかけました。スポーツ報知やデイリースポーツなども、この本人の発表を報じています。
ところが、公表から約3週間後の2018年9月18日、所属ジムのKRAZY BEEが山本さんの逝去を発表しました。享年41歳6か月。突然の訃報は格闘技界に大きな衝撃を与えました。
死因については、本人が公表した病名が「がん」であることと、後日報じられた具体的な病名を区別する必要があります。訃報を伝えたKRAZY BEEの発表文には、医学的な死因やがんの種類についての詳しい記載はありませんでした。
その後、RIZINの榊原信行実行委員長が報道取材に応じ、山本さんは2年以上前に胃がんが見つかっていたことや、周囲に病気を知られないように治療を続けていたことを説明したと、日刊スポーツなどが報じています。同報道では、2018年に入って病状が悪化し、グアムで治療を受けていた経緯も伝えられました。
この説明は、格闘技関係者による証言として重要な情報です。ただし、胃がんという病名や治療の経緯について、本人や家族が詳細な医療情報を公表したわけではありません。公表された情報から読み取れるのは、病気を抱えながらも復帰への意志を持ち続けていたことです。
日刊スポーツの2018年9月20日付の記事では、榊原氏が、山本さんは再びリングに上がることを望んでいたと説明しています。病気を公表するかどうかについても葛藤があったとされ、本人にとって格闘技への復帰が大きな目標だったことがうかがえます。
「最期の様子」については、報道で伝えられた治療の経緯以上に、詳細な医療状況や家族との最期の時間を断定できる公表資料は限られています。所属ジムの訃報では、山本家や家族、友人への取材を控えるよう求めていました。家族のプライバシーに関わる情報を、具体的な裏付けのないまま補うことはできません。
がんを公表した8月26日から、亡くなった9月18日までは23日間でした。この短い期間が強く記憶されている一方で、闘病そのものは公表前から続いていたと報じられています。公表日と発症・診断時期を混同しないことが、経緯を理解するうえで大切です。

【家族構成】山本KID徳郁の妻と子供、山本家のつながり
山本さんの家族構成を理解するうえでは、父、姉、妹を含むレスリング一家としての背景と、本人の結婚歴を分けて整理すると分かりやすくなります。
父はレスリング選手の山本郁榮さん、姉は元レスリング世界女王の山本美憂さん、妹は同じくレスリングで世界的な実績を持つ山本聖子さんです。山本聖子さんは、野球選手のダルビッシュ有さんとの結婚でも知られています。山本家は競技者を育てる環境に恵まれ、KIDさんのレスリング技術や勝負への姿勢にも、その影響があったと考えられます。
結婚歴については、2004年にモデルのMALIAさんと結婚し、2009年に離婚したことがオリコンなどの報道で確認できます。2人の間には、2005年生まれの男児と2006年生まれの女児がいます。MALIAさんには前の結婚でもうけた子供がいたため、当時の報道で「3人の子供」と紹介される場合には、KIDさんとの実子だけを指していないケースがある点に注意が必要です。
その後、山本さんは再婚していたことを2014年11月に公表しました。同月25日に第3子となる女児が誕生し、オリコンは本人が娘の名前を「千(せん)」と紹介したことを報じています。再婚相手については、報道で写真が紹介されたことはあるものの、広く公表された詳細なプロフィールは限られています。
したがって、公に報じられた情報を整理すると、山本さんには前妻MALIAさんとの間に2人、再婚相手との間に1人の子供がいたことになります。子供たちのその後の生活や現在の詳細については、本人たちが公表している範囲を超えて推測するべきではありません。
山本さんの訃報に際しては、所属ジムが家族や友人への取材を控えるよう要請しました。著名な格闘家の家族であっても、本人の死後に私生活のすべてを公開する義務があるわけではありません。家族構成を知る際には、本人や関係者が公表した結婚・出産の事実と、私的な生活に関する推測を区別することが大切です。
【KRAZY BEEとCurry Shower】2026年に確認できる活動と現状
山本さんの活動を振り返るうえで、競技成績と同じくらい重要なのが、ジム運営や後進育成への取り組みです。山本さんはKRAZY BEEを通じて選手の育成に関わり、自身の競技経験を次世代へ伝えようとしていました。
2017年には沖縄県糸満市のKRAZY BEE糸満、埼玉県越谷市のKRAZY BEE越谷を展開。ジムの運営は、現役選手としての活動を支えるだけでなく、競技を引退した後も格闘技界に関わり続けるための基盤でもありました。
2026年時点で現況を確認する際に参考になるのが、KRAZY BEE KOSHIGAYAの公式サイトです。同サイトでは、山本KID徳郁さんがプロデュースしたジムとして紹介され、総合格闘技や柔術、フィットネスなどのクラス、施設案内、トレーナー情報が掲載されています。2026年の更新情報も掲載されており、少なくとも越谷の施設については、現在の運営情報を確認できます。
ただし、KRAZY BEEという名称が付くすべての拠点が、同じ体制で営業しているとは限りません。糸満や過去の東京の拠点については、越谷の公式サイトだけで現在の営業状況を一括して判断することはできません。ジムを訪問したい場合は、施設ごとの公式案内を確認する必要があります。
山本さんは格闘技以外の事業にも挑戦しました。その一つが、2014年7月7日に東京都品川区大井で開店した薬膳カレー店「Curry Shower」です。店舗の開店情報を掲載した横浜中央経理の紹介記事によると、インドのアーユルヴェーダと中国の薬膳学を取り入れ、17種類のスパイスや漢方素材を独自に調合したカレーを提供していました。
一方、食べログの店舗情報では、Curry Showerは閉店済みとして掲載されています。したがって、2026年現在も営業している店舗として紹介するのは正確ではありません。開店当時の事業内容と、現在の営業状況は分けて理解する必要があります。
ジムとカレー店に共通するのは、山本さんが自身の知名度を競技の外にも広げ、独自のブランドを作ろうとしていたことです。KRAZY BEEが後進育成や運動の場として現在の施設につながっている一方、Curry Showerは過去の事業として記録されています。両者を区別して見ることで、格闘家としてだけではない山本さんの活動が見えてきます。

【プロの結論】山本KID徳郁の功績と、情報を見極める判断基準
山本さんを評価するとき、勝敗の数字だけでキャリア全体を判断するのは十分ではありません。修斗でプロデビューし、HERO'Sの世界王者となり、UFCの舞台にも挑んだ経歴は、競技環境の異なる複数の舞台で自分のスタイルを試し続けた歩みです。
特にHERO'Sでの成功は、総合格闘技を広い視聴者層へ届けるうえで象徴的でした。打撃とレスリングの双方を武器にする選手として、競技の枠を越えて認知され、試合そのものに強い印象を残しました。UFCで勝利を挙げられなかった事実も含めて評価することで、競技者としての実像がより立体的になります。
また、闘病の公表から死去までの経緯は、本人の発信、所属ジムの訃報、関係者による説明を分けて読むことが重要です。本人が公表したのはがん治療中という事実であり、胃がんという具体的な病名は後日の関係者証言として報じられました。発表主体や時期を区別すれば、何が本人の発信で、何が報道によって補足された情報なのかを判断しやすくなります。
「現在」「最期」「妻」「子供」「死因」といった検索語は、読者が知りたいことを端的に表しています。しかし、検索結果に表示された見出しだけでは、病名の公表主体や家族の情報の範囲まで分からないことがあります。記事を読む際には、本人の公式発信、所属団体の発表、競技団体の記録、報道機関による関係者取材を見分けることが、正確な理解につながります。
山本さんが残したものは、タイトルや勝利数だけではありません。異なる競技の舞台へ挑戦した姿勢、格闘技の魅力を伝えた試合、そしてKRAZY BEEを通じた育成への取り組みも、そのキャリアの一部です。功績を振り返るときは、華やかな勝利と厳しい結果の両方を見渡し、本人が実際に歩んだ道筋をたどることが大切です。
【山本徳郁】に関するよくある質問(FAQ)
Q1:山本KID徳郁の死因は何ですか?
A1:2018年8月26日に本人ががん治療中であることを公表し、同年9月18日に41歳で亡くなりました。日刊スポーツなどは、RIZINの榊原信行実行委員長の説明として、胃がんが見つかっていたことを報じています。ただし、所属ジムの訃報そのものには、詳細な医学的死因は記載されていません。
Q2:山本KID徳郁の妻と子供は何人ですか?
A2:2004年にMALIAさんと結婚し、2009年に離婚しました。2人の間には子供が2人います。その後、2014年に再婚していたことを公表し、同年11月に女児が誕生しました。公に報じられた実子は計3人です。再婚相手の詳しいプロフィールや子供たちの現在の生活については、公表情報が限られています。
Q3:山本KID徳郁は2026年現在も活動していますか?
A3:山本さん本人は2018年9月18日に逝去しており、現在活動しているわけではありません。一方、山本さんがプロデュースしたKRAZY BEE KOSHIGAYAの公式サイトでは、2026年の施設案内やクラス情報が掲載されています。ジムの現況は施設ごとに確認する必要があります。
Q4:山本KID徳郁がプロデュースしたカレー店Curry Showerは営業していますか?
A4:Curry Showerは2014年7月に東京都品川区大井で開店した薬膳カレー店ですが、食べログの店舗情報では閉店済みとなっています。2026年現在も営業している店舗として案内できる情報は確認できません。
Q5:山本KID徳郁の代表的な戦績やタイトルは何ですか?
A5:日本修斗協会の公式プロフィールでは、修斗のプロ公式戦は7戦6勝1敗です。また、2005年にはHERO'Sの初代ミドル級世界王者となり、2011年からUFCのバンタム級にも参戦しました。修斗での台頭、HERO'Sでのタイトル獲得、UFCへの挑戦が、代表的なキャリアの節目です。
まとめ:山本徳郁の歩みと、今も受け継がれる功績
山本徳郁さんは、修斗で頭角を現し、2005年にHERO'Sの世界王者となり、UFCにも挑戦した総合格闘家です。2018年8月26日のがん公表から約3週間後の9月18日に41歳で亡くなりました。胃がんについては、後日の関係者証言をもとに報じられていますが、本人や家族による詳細な医療情報の公表は限られています。
家族については、MALIAさんとの結婚と離婚、再婚、3人の実子について公表された記録があります。競技以外ではKRAZY BEEのプロデュースやCurry Showerの開店にも取り組みました。2026年の現況を考える際には、現在も情報が更新されている越谷のジムと、すでに閉店したカレー店を区別することが必要です。
山本さんの魅力は、タイトルや戦績にとどまりません。異なる競技の舞台に挑み続けた姿勢、強烈な印象を残したファイトスタイル、そして後進育成に向けた取り組みが、今もその存在を語り継ぐ理由となっています。経歴、闘病、家族、事業をそれぞれの公開記録に沿って振り返ることが、山本KID徳郁という格闘家を正確に理解する手がかりになります。 (出典: 山本 徳 郁(Yahoo!ニュース))